あるく

漱石さんだか英世さんが飲み込まれては吐き出されるのを数度繰り返した後に、諦めて窓口で盛岡までの切符を求める。

「片道ですか?」と、愛想の良い窓口の女性に訊かれ、思わず往復と答えそうになるのを堪えながら硬い厚紙の切符を受け取り、尖った角の感触に懐かしさと切なさを同時に感じ。

産学共同開発の雑穀カレーパンは、地味ながらスパイスが程よく効いたカレーが良い味だった。

ブラックコーヒーとスパイスが口の中で混じり合う、昼食時にお馴染みのあの味覚を遠い地で再現し、その距離を余計に実感する。


ぼんやり待合室内を眺める。

夏に片足を踏み出したような陽射しの中に、あの日と同じようにストーブをベンチが取り囲む。

再び火が入る日も、さほど遠くはないという事か。

盛岡までの往復切符に駅ビルの商品券をプラスしたお得なプランもあるようだ。

ここでの今の生活を感じさせる様々なものに包まれて、内側から今の自分が滲み出てくるような感覚を覚える。


仮死状態になった携帯電話は仮死状態のままで、記録するのは自分自身の役割になる。


取り込み、感じる毎に、溢れ出る自分の今。


脱力のような、恍惚のようなぼんやりした時間をしばし過ごし、再びキオスクでコーヒーを買い、気付けにする。

時間はあと10分。

改札が開けられて、待合室で話しをしていた人達の姿はホームへと消えていた。


受付の女性に挨拶しつつ、改札を抜ける。

来た時には気づかなかった、薄暗い地下道の階段の脇に古い趣きのある秤が置かれていた。

昭和20年代から使われていた、荷物を計量する為の旧国鉄時代のものらしい。

中のメカニズムが覗ける構造で、メーター部分の文字が細やか。

「ご自由にお乗り下さい」

今は辻体重計として余生を送る、その重厚で美しい姿に心惹かれる。

この街が機関区で栄えていた頃を知る、数少ない証人。


暗がりに佇む先輩に別れを告げ、地下通路から陽射しに包まれるホームへの階段を昇る。